ちょっと話がある〜
令和2年春
今年80歳の『きみしゃん』こと渡邉紀美子に・・・
新型コロナで苦境に立たされて80歳の老体も限界を感じつつ断捨離・就活をしていたところあるものを発見!
それは
『ハサミ』?なんの?

実は『きみしゃん』は元割烹旅館の女将の前身は
理容師でした
昭和57年に割烹旅館をはじめる前は中学卒業(15歳)から理容学校・修行・丁稚奉公をへて23歳の時に一念発起し芦屋町で小さな理髪店を営なむ一国一城の主人として職人として腕をふるっていました!

二代目きみしゃん(渡邉公義)は
子供の頃は散髪屋の公義君でした!


『ハサミ』やバリカン等は悪夢の店舗火災で
ほとんど灰となっていたはずが・・・奇跡的に
焼け残った荷物の中から?(画像参照)
『きみしゃん』曰く1本10数万円もする『ハサミ』は
10本以上あったとか・・・

『きみしゃん』曰く
平成24年秋の悪夢の店舗火災の時は
神様が奇跡の『大鍋』を・・・
今回は
神様がまた?最後に奇跡の『ハサミ』?
なぜ奇跡の『ハサミ』?
『きみしゃん』こと渡邉紀美子は昭和15年生まれの
元割烹旅館の女将兼板前でもあり当時の朝食に『いりこ』の佃煮を提供していたことから巷では評価となり
平成23年筑前七浦品評会で第一位を獲得し『きみしゃんいりこ』として本格的に商品化
その矢先に平成24年秋に悪夢の店舗火災として一時白紙の状態を経験するも焼け跡からいりこの佃煮を作っていた大鍋を発見し神様がこの大鍋で頑張れと背中を押されて今日まで至る
繰り返しになりますが

その修行・丁稚奉公時代に『まかない』でよく『いりこめし』を作っていたそうです
子供時代に芦屋町は『いりこ』漁が盛んで学校帰りに
漁師町だったのでよくつまみ食いをしていた思い出や
きみしゃんの母親が『いりこ飯』を毎週のように食卓に並んでた記憶また当時米軍芦屋基地に勤めていた母親が『いりこの佃煮』を米兵へ差し入れしていた思い出も・・・
修行・丁稚奉公時代の今でも苦しくて何度も逃げ出しそうになった辛い思い出がこの『ハサミ』で蘇り
あの悪夢の店舗火災(平成24年)では奇跡に大鍋と朝食に提供していた『いりこの佃煮』が背中を押してくれた
今度の新型コロナ(令和2年)では家庭の事情で進学を断念し10代の厳しい修行・丁稚奉公時代に支えてくれた思い出の『ハサミ』と今日まで支えくれた『きみしゃんいりこ』で
きみしゃん(渡邉紀美子)は半生の人生波乱万丈物語として80歳からの未知への挑戦として新型コロナに負けてたまるかとして

『きみしゃんいりこ』をアレンジした
『いりこ飯』ならぬ『床屋飯の素』を
5月後半に?6月に
きみしゃんいりこ『床屋飯の素』を発売予定?
トントン拍子で話がまとまりました
明日からはその試作に入ります
新型コロナに負けてたまるか!
きみしゃんいりこ『床屋飯の素』!

もちろんあの『奇跡の大鍋』で1Kg毎の手作り
です

二代目きみしゃんとしては
80歳の『きみしゃん』のモチベーションはもちろん
健康管理にも配慮しながら・・・
全国の新型コロナで苦しんでいる皆様に
この思い出や奇跡が詰まった『きみしゃんいりこ「床屋飯の素」』で『いりこ飯』を食べてもらい元気と勇気そして笑顔になっていただければ『きみしゃん(渡邉紀美子)』は人生悔いなしと母親(上田ユリエ)享年103歳まで天寿を全うしたように
90歳100歳までコツコツとあの奇跡の大鍋で小さな厨房に今日も立っていることを夢見ています!